二人静
先日、能『二人静』を観てきました。
~あらすじ~
吉野勝手神社で行なわれる正月7日の神事に備え、若菜摘に来た娘(たぶん巫女さん)が一人の女に声を掛けられ供養を頼まれます。
驚いた娘がその女に名を問うと、とにかく供養してくれるよう神職に言付けて欲しい、もし誰かが疑うならばその時は私があなたに乗り移って事の次第を話しましょう・・といって姿を消します。
勝手神社へ戻った娘は神主にそのことを話していると、先程の女が乗り移り自らを静と名乗ります。
神主は弔いを引き受けるとともに、静御前に舞を所望。
それに応えて静の亡霊は一差し舞うと、姿を消すのでした。
演じる側にとっては難曲で(菜摘女と静御前の舞をシンクロさせるのがめちゃくちゃ難しいらしいです)、この日も揃わない箇所はありましたが、全体に優美な雰囲気の素敵な舞台でした。
静御前の霊は、舞いながら鎌倉・鶴岡八幡宮での一件や義経への慕情を切々と語るのですが、これがまた切なくて。
ここでもまた、彼女は
しづやしづ しづのをだまき くりかえし
昔を今に なすよしもがな
と歌いあげるのです。
ここでちょっと寄り道を。
源義経=チンギス・ハーン(ジンギスカン)説というのがありますが、その根拠のひとつにこの歌が関係あります。
(義経ファンの方には今更な話でしょうけど)
吉野で捕らえられ鎌倉に連行された彼女が、八幡宮での奉納舞を強制されたのは有名な話ですよね。
そのとき、鎌倉殿の逆鱗に触れたのが先程の歌。
吉野山 峰の白雪 踏みわけて
入りにしひとの あとぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くりかえし
昔を今に なすよしもがな
チンギス・ハーンを漢字で書くと成吉思汗ですが、この文字を『吉成りて汗思う』と読むと…
アラ不思議!
先の静御前の歌に対する返歌(?)となるのだそうです。
『吉』は吉野、『汗』は水+干で水干、つまり白拍子の衣裳のことであり静御前を指す…と。
訳すと「吉野山で交わした約束どおり貴女を想っています」てな感じでしょうか?
こじ付けと思うか、真実と思うか。
『二人静』では、静御前の魂が成仏したかどうかまでは、はっきりしません。
義経さん恋しさと置いて行かれた悲しみに縛られ、死してなお吉野で彷徨い続けた彼女が果たして浮かばれたのかどうか。
たとえ義経=チンギス・ハーン説が真実で、成吉思汗の名に込められた気持ちは届いていたのだとしても、この『二人静』における静御前には妄執から解き放たれる救いにはならなかった訳で。
そう考えると、物語としては救われないんですよねぇ、このお話。
(案外、男のほうはあっさり成仏してたりして…)
それにしても、弔いを請う迷える魂魄に向かって「舞を見せて」とは
ひでぇ神主だな・・などと思った罰当たりがここに一人。
(あ、でも供養料と思えば良心的なのかしらん?)
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