浪士組 結成
文久3年(1863)、小石川伝通院において浪士組が結成されました。
将軍家茂の上洛に際し、その護衛を最初の目的として募集がかけられましたが、集まった浪士の数は約300人。
当初の予定では50人ほどだったとのことですから、伝道院の境内はイモ洗い状態だったでしょうね。
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文久3年(1863)、小石川伝通院において浪士組が結成されました。
将軍家茂の上洛に際し、その護衛を最初の目的として募集がかけられましたが、集まった浪士の数は約300人。
当初の予定では50人ほどだったとのことですから、伝道院の境内はイモ洗い状態だったでしょうね。
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今日から二十四節気のひとつ、【芒種】。
これは稲などのように尖った穀物の種を撒く頃、の意味だそうです。
昔と違って、種撒きの時期は前後するようですが。
池田屋事件
元治元年(1864)、新撰組の名を世に知らしめた大事件ですね。
当時は旧暦でしたので、現在であれば7月上旬くらいでしょうか。
折りしも、京都の街は祇園祭の真っ只中。
過激な攘夷派の志士たちによる、ある計画も知らずに。
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昨日、書き忘れました…(ガッデム!!orz)
気を取り直しまして。
嘉永6年(1853)6月3日、動乱の始まりとなる出来事がありました。
ペリー率いる東インド艦隊(黒船)、浦賀沖に来航。
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明治元年4月25日、大久保大和こと新撰組局長・近藤勇が板橋にて処刑されました。
享年35。
武士にとって屈辱ともいえる、斬首。
当時、新撰組は坂本龍馬を暗殺した犯人として憎まれていたために土佐藩が斬首による処刑を譲らなかった…といわれていますが、真意はどうあれ、敵の大将を辱しめる処断が行なわれたことが残念でなりません。
官軍も、もう少し敬意を表せていたら株が上がったのにね。
よほど農民出の大将が率いる集団に一泡吹かせられたのが悔しかったのかしらん。
新しい日本を見ることなく最期をむかえた近藤局長。
ともあれ、140年を経た今“最後のサムライ”と呼ばれるならば、「試合に負けて勝負に勝つ」といったところなのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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鳥羽伏見の戦いで大阪城より脱出し、江戸城に入っていた慶喜。
この日上野寛永寺へ移り、謹慎の身となります。
後世、「戦わずして兵を置き去りにして逃れた臆病者」と評された慶喜。
私もそのように思っていましたが、幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)を読んで印象が変わりました。
幕末期、幕府の外交は決して及び腰だった訳ではないとのことですし、官軍によって伝えられなかった真実が多くありそうな気がします。
鳥羽伏見からの逃亡(退却?)は納得いかないものもあります。
でも、内乱に乗じて日本を制しようと狙う欧米の諸外国から結果的に守られたという点で近年見直されているようですから、ただの臆病者ではないですね。
政治って複雑。
慶喜が大阪から江戸に戻った際、「マグロが食べたい」と希望したとか。
古くはシビと呼ばれ、『シビ』=『死日』につながるとのことから武家にタブーとされていた魚にもかかわらず、敢えてそれを食べたのは、どんな思いからだったのでしょうか?
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京都・伏見の寺田屋にて坂本龍馬が襲撃を受けたのが慶応2年。
※これより4年前に起きた薩摩藩粛清事件(文久2年)とは別の事件です。
応戦した龍馬は左手の親指と人差し指を負傷。
このあとお龍とともに鹿児島へと旅立ちます。
(以前、霧島に立ち寄った際、霧島神社で龍馬の碑を見ました。日本で最初の新婚旅行だったとか。)
寺田屋事件は有名ですので、長々と書くまでもありませんが(笑)、幕末の血なまぐさい事件が2つも起きたなんて、寺田屋さんも災難です。
でも、それで今日まで名を残しているから五分五分かしらん。
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慶応2年の今日、薩摩藩と長州藩の間で同盟が締結されました。
これにより、幕末の状勢はさらに大きく動くことに。
2年前に起こった禁門の変以降、険悪だった両藩の間を取り持つため、奔走したのが坂本龍馬。
考えただけでも胃がキリキリ痛みそうな仕事です。
でも、「胃が痛くなりそう」なんて小さい器じゃなかったから龍馬なんですよねぇ。
きっと難しければ難しいほど楽しそうに仕事したんだろうなー…なんて。
敵には回したくないタイプだな。
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慶応3年の今日、京都七条油小路で新撰組隊士と高台寺(御陵衛士)党員の乱闘がありました(油小路事件)。
高台寺党が近藤暗殺の計画を進めている事を知った新撰組幹部が、リーダー伊藤甲子太郎の暗殺を決意。
↓
18日、伊藤を近藤の妾宅に呼び出して酒をすすめ、帰宅する途中に暗殺。
↓
遺体を油小路に放置し、引取りに来た高台寺党員7名と待ち伏せしていた新撰組隊士約40名(資料によっては17名)が乱闘。
この時、藤堂平助が討死。
と、藤堂さん(号泣)
本当は局長、藤堂さんを生かすつもりだったらしいです。
実際、永倉さんは生かすよう命令を受けていたとの説もあります。
それなのに。
永倉さんがそれとなく道を開け、それを察した藤堂さんが退却しようとしたところをかつての部下が後ろからバッサリ。
余計なことを…!
傷が深かったのか、結局乱闘の中に戻って討死(斬り合う間もなく顔面を割られた、という話もありますが)。
思想の違いからかつての仲間と袂を分かったけれど、正々堂々信念を貫いた藤堂さんは士道を全うしたんですよね、きっと。
政治って、本当にめんどくさい。
現在、藤堂さんが主人公の本を読んでいる最中です。
もうすぐ油小路事件… (´△`)↓
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京都の近江屋で坂本龍馬が暗殺されたのが、ちょうど140年前の今日だそうです。
あ。
でも当時は旧暦だから、正確には1ヶ月ほど先になるのかな?
なにも、誕生日に殺ることはないでしょうに。
享年32歳は早過ぎますね。
龍馬を描いた作品は数え切れないくらいありますが、 修羅の刻(とき)―陸奥円明流外伝 (2) (講談社コミックス (316巻)) 風雲幕末編の龍馬がけっこう好きだったりします。
もちろん、新撰組も登場。
土方副長はシブいですが、沖田は…沖田は…
坊や過ぎて、しっくりきませんでした。
絡み方というか、話の流れは好きなんですけどね。
歴史上の人物たちが活躍した年齢に近づくにつれて、彼らの凄さをしみじみ感じます。
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